今回は、愛犬の困った行動を改善するためのトレーニング以前に、飼い主である私がもう少し深く観察して見極めるべきだった「散歩」のお話です。
過去の私は、犬にとって散歩は毎日絶対に必要なもの。
しっかり歩かせて、満たしてあげることが大切。
そう捉えて信じていました。
けれど今振り返ると、我が家の愛犬にとって本当に必要だったのは、
決まった回数や距離を必ず歩く散歩が重要なのではなく、
愛犬自身が選べる環境の提案をすることだったのだと思っています。
私の失敗から見えてきた、見落とさないでほしい視点をまとめてみました。
「満たしてあげる」の勘違い
満たされていないから、困った行動をするの?
我が家の愛犬の困った行動の多くは、「愛犬が何に困っているのか」をひとつずつ紐解き、
暮らしの中を整えていくことで、少しずつ、けれど着実に減っていきました。
そしてその多くは、いわゆるトレーニングらしいことよりも、環境を整えることの方が大切だったように感じています。
過去に投稿した「犬が散歩で引っ張る・歩かないのはわがまま?愛犬の不安に気づいて変わったお散歩の話」にも書いたように、当時の我が家のお散歩は、怖がりな愛犬にとって決して安心できる時間ではありませんでした。
狭い住宅街。
人、自転車、車、バイク。
とにかく通りが多く、すれ違いも避けにくい環境。
愛犬がいそいそと先を急ぐように歩く姿を、当時の私は「元気に歩いている」と思っていました。
けれど今なら、あれは楽しさや満足というより、不安や警戒を抱えながら早くその場を抜けたい気持ちだったのかもしれない。
そう感じています。
「散歩で満たしてあげる」つもりが、実際には満たされるどころか、緊張や負担を積み重ねる時間になっていたのかもしれません。
昭和的な思考での犬との関わり方が当たり前だと思っていた頃の私には、
その視点がありませんでした。
飼い主である私が気づいて変わらなければ、
愛犬はずっと「困ったままの犬生だった」かもしれない。
今は、そんなふうにも思います。
これまで関わっていただいた専門家の方々の中には、
「お散歩は大事です」
「しっかり散歩をして、犬を満たしてあげることが大切です」
「運動や発散が足りていないと、困った行動につながることもあります」
そうお話しされる方もいらっしゃいました。
もちろん、それが必要な犬もいるのだと思います。
けれど、我が家の場合は、
「本当にそうなのだろうか?」
と立ち止まる必要がありました。
盲信が招いた苦しい時代
「ちゃんと散歩しなきゃ」に縛られていた頃
私はその言葉を、かなりまっすぐに受け取っていました。
犬には散歩が必要。
しっかり歩かせなければいけない。
満たされていないから、困った行動が出る。
そう思い込み、
毎日きちんと散歩へ行くことを
飼い主としての責任のように感じていました。
1日2回は必ず散歩へ連れ出し、
多少の雨でもカッパを着せて行き、
仕事で帰宅が遅くなっても、暗い中ライトを照らして歩かせた。
だって、行かないといけない。から。
でも今振り返ると、
その義務のような散歩が
我が家にとってどれほど良い効果をもたらしていたのだろう。
そう考えるようになりました。
大切だったのは、
散歩が良いか悪いかではありません。
もともと怖がりで警戒心の強い我が家の愛犬には、
その散歩の形が合っていなかった。
そこに気づくことだったのです。
お散歩が大好きで、外を歩くことでリフレッシュできる子。
トイレも兼ねていて、外へ出ることが生活のリズムになっている子。
歩くことで心身のバランスが整う子。
そういうわんちゃんとは話が違ったのだと思います。
我が家の愛犬に必要だったのは、
「もっとしっかり歩かせること」ではなく、
安心して過ごせる選択肢を増やすことでした。
常識よりも、目の前の愛犬を見ること
散歩へ行っていないのに問題がなかった犬
主従関係をベースにしたスクールでも、
科学的根拠をもとにしたスクールでも、
「散歩は大事」という助言を耳にすることはありました。
もちろん、犬にとって外の匂いを嗅いだり、
体を動かしたり、環境に触れたりすることは大切です。
けれど当時の私は、
その言葉を「どんな犬でも毎日しっかり歩かせるべき」と
受け取ってしまいました。
そんなある日、
犬育てについて発信されている専門家の方が、
遠い過去を振り返って、こんなお話をされていました。
昔は、
「小型犬は散歩へ行けなくても大丈夫」
と思っていた、と。
なぜなら、外で鎖につながれて暮らす外犬とは違い、
室内を自由に動き回れるから。
当時の愛犬さんはお散歩にほとんど行けていなかったそうです。
けれど、
大きな問題は一度も起きなかった。
そうおっしゃっていました。
その話を聞いたとき、私は少し驚きました。
散歩へ行っていないのに何も問題が起きなかった。
では、それはいったいなぜなのか。
問題は散歩の有無だけではなかった
その答えは、
「散歩へ行ったかどうか」だけでは判断できない、
ということだったのだと思います。
その子にとって家の中が安心できる場所だったのかもしれない。
暮らしのリズムが合っていたのかもしれない。
無理に苦手な環境へ連れ出されることが少なかったのかもしれない。
飼い主さんとの関係や日々の関わりの中で、
十分に満たされていたのかもしれない。
つまり、問題は「散歩の有無」だけではなく、
その子に合った暮らしができていたかどうか。
そこを見なければいけなかったのだと思います。
我が家の場合は、
散歩に行っていたから満たされていたのではありませんでした。
むしろ、合わない散歩を毎日続けることで、
怖い。
苦手。
緊張する。
早く帰りたい。
そんな気持ちを積み重ねていた可能性がありました。
それなのに私は、
「行かないといけない」
「満たしてあげないといけない」
「散歩不足が原因かもしれない」
という言葉に引っ張られて、
目の前の愛犬の様子を見ることが後回しになっていたのです。
正しさを一度、手放すしかなかった
真面目な私は、それでも正しさに縛られていた
頭では少しずつ、
「散歩だけがすべてではないのかもしれない」
と思うようになっていました。
けれど、それでもやっぱり、
真面目な私は “ 正しさ ” に縛られていたのです。
犬には散歩が必要。
1日2回行かなければ、また困った行動が増えるかもしれない。
そんな思いが、なかなか手放せなかったのです。
でも、その重い気持ちを軽くする転機が訪れました。
それは、毎日が目一杯だった時期のこと、
もっともっと、犬のことを知りたくて、
情報を探し、学び、考え、
それでも愛犬との時間も大切にしたくて、
なんとか愛犬と関わる時間を捻出していました。
けれど、その余裕がない日々の中で、
どうにもならない状況が起きたのです。
1日2回、正しいとされている散歩を
続けることが、難しくなってしまったのです。
そして追い込まれた私は、夕方の散歩を一旦手放しました。
手放したかったというより、
手放すしかなかった。
そんな感覚になる状況でした。
夕方散歩を手放して起きたこと
正しさを手放したその時、
何が起きたのか。
大きく困ることは、何も起きませんでした。
もちろん、散歩をまったく大切にしなくなったわけではありません。
それまでのように、
「行かなければいけない。だから行く」
という形を一度やめて、
その代わりに、できる範囲で愛犬が喜びそうなことを探しました。
飼い主の都合に合わせて、
いつもと違う時間に刺激の多い環境へ連れ出すのではなく、
家の中でできる遊びを増やすこと。
安心できる場所で、鼻を使う時間を作ること。
愛犬の様子を見ながら、
その日にできる関わりを選ぶこと。
私にできる範囲のこと。
そういうものを、少しずつ暮らしの中に入れていきました。
すると半年続いたその状況下で、
完璧ではないけれど、以前よりもずっと自然に、
自分たちらしい形で暮らせるようになっていたのです。
「毎日こうしなければいけない」ではなく、
「今日はこの子に何が合うかな」と考えられるようになりました。
その頃から、犬育てはさらに、
自分らしく、愛犬を思った形に収まっていきました。
我が家の愛犬に合った生活を選ぶ

子育てと少し似ていると思ったこと
今思う犬育ては、子育てにも少し似ていると感じています。
たとえば、子どもが学校へ行きたくないとき。
学校が楽しくない。
つらい。
怖い。
そんな気持ちを抱えているときに、
「義務教育だから行くのが当たり前」
と、子どもの内側を見ずに
ただ連れて行くことだけが正解ではないですよね。
その子が何に困っているのか。
どんな場所なら安心できるのか。
少しずつなら行けるのか。
別の環境なら力を発揮できるのか。
好きなことや得意なことを広げることで、
前向きになれる道はないのか。
きっと、そうやって考えるはずです。
犬との暮らしも、同じだったのだと思っています。
「散歩へ行くこと」が目的になっていなかったか
散歩は大事です。
お散歩で外の世界に触れることも大事。
体を動かすことも、匂いを嗅ぐことも、
犬にとって大切な時間です。
けれど、それが愛犬にとって安心や楽しさにつながっているのか。
それとも、不安や警戒を強める時間になっているのか。
そこを見極めることが、飼い主である私には必要でした。
散歩の回数や距離を守ることよりも、
愛犬が安心して過ごせる環境を整えること。
無理に苦手な場所を歩かせるよりも、
安心できる場所で匂いを嗅ぐこと。
人や車の少ない時間を選ぶこと。
歩く日もあれば、歩かない日があってもいいと思えること。
家の中でできる遊びや関わりを増やすこと。
そうやって、
「散歩へ行くこと」を目的にするのではなく、
「愛犬が安心して暮らせること」を目的にすればよかったのです。

犬育ての答えは、
本やスクールや誰かの正しさの中だけにあるのではなく、
飼い主と愛犬の間にあるもの。
それを、少しずつ見つけることができたのだと思います。
今ではまた、夕方散歩も再開できています。
でもそれは、
「行かなければいけない。から行く散歩」ではありません。
愛犬の様子を見ながら、
今日の私たちに合う形を選んだ散歩です。
一度手放したからこそ、
散歩との向き合い方も、愛犬との関わり方も、
とても楽になりました。
我が家の愛犬に合った生活を選ぶ。
それが、あの頃の私に一番必要だった視点だったのだと思います。

「こうしなきゃ」より、「この子はどうかな?」って見るといいよね。

楽しいことは、お外だけじゃないもんね♪
この記事は、いち飼い主としての私の体験談と主観で書いています。
特定の方法や取り組みを否定したり、誰かを責める意図はありません。
ひとつの体験談として受け取ってもらえたら幸いです。



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